森本さんの情熱。

森本喜久男さん。

このカンボジアで、なんだかとんでもなくエネルギッシュな日本人に出会ってしまった。
森本喜久男さん57歳。
もともとは京都の手描き友禅の職人だったが、カンボジアの伝統の絹絣に魅せられ、
内戦下で途絶えてしまった絣の技術を復活させようと、
カンボジアに移り住み、村々をまわって、織物の技術をもつおばあさんを探し出し、
約10年前、シェムリアップに絹絣の技術を継承していくための工房と研修所を開いた。
「村をまわっておばあさんをさがしていたら、銃をもったポルポトの兵隊とばったり出くわしちゃって、あの時は怖かったなあ〜」
と苦笑いで振り返る。
当初5〜6人ではじめた工房も今は約500人の女性が、糸を紡ぎ、染め、織りなどの仕事をしている。
ここでは伝統織物の再生をはかるとともに、貧しい家庭環境に暮らす女性たちの自立を支援している。
子供を連れて工房に来る女性も多い。
「うちは子連れOK。仕事の能率からいったら、子供はいない方がいいんだけど、でもね、もともと織物ってのは家族内でやる仕事なんだよ。だからここで子供は母親の仕事を見て、その技術を覚えてくれればいいし、子供がここにいることでみんながHAPPYな気分になるでしょ」
と言う。
作業の手を止めて、子供に母乳をあげている若い母親がいた。
好きな仕事をしながら、子供が欲しがるときに母乳をあげられる、なんて豊かなことなんだろうと思った。
別棟の工房の2階では10代の女の子たちが熱心に花の絵を描いていた。
「うちはねこれも立派な仕事。絵を描くことで美意識を養ってくれればいいし、それが将来の織物につながる。
僕も京都で修行してたころ、よく師匠に絵をかかされたよ〜」
この女の子たちにも給料は支払い、必要ならば学校へ行くお金も補助しているという。
森本さんはこの工房から車で1時間ほどのところに15haほどの土地を買い、今、桑の木や天然の染料となる木を植えている。
戦乱以前には、村で綿花が栽培され、生糸を生産するための養蚕が行われており、織りの素材となる木から、
藍やラックなど自然染料の植物、織物に必要な道具の素材となる木など
そのすべてが村の中でまかなえるシステムが出来上がっていたという。
しかしカンボジアの不幸な内戦は、この豊かな自然環境までも破壊してしまった。
「ここにもう一度、昔、村にあった環境を作りたいんだ」と森本さんは目を輝かせる。
どうして日本人である森本さんが、ここまでカンボジアの伝統や人材の育成に自分の生涯をかけてまでして取り組めるのだろう。
運営資金は工房で作った織物の販売でまかなっているというが、正直そんなに大きな収益があるようには思えない。
「うちは世界のトップレベルのもの作っているんだよ。でもね技術だけじゃだめなんだ、心がないと。」
伝統の技術を継承していくことは決して形だけではなく、その背景にある心を受け継いでいくことなのだと思った。
これは昨日見たアンコールワットの修復を見ていても感じたこと。
森本さんの情熱に圧倒された1日だった。